なにが好きかを表明するのが苦手

自分を表現するにあたり、なにが好きかで自分を語りたいものだなーとは常々思ってるんだけど、僕は「なにが好きか」を表明するのが苦手なのである

好きなものはなに?と人に聞かれると言葉に窮するのである

いくつかは「これが好きです」と言えるものはあるんだけど、それは自分自身の中では好きというのにとどまるのであって、同じものを好きだと表明している他者(同好の士)と比較した時に、世間に対して「僕はこれが好きだーーーーーっ」と表明するに足りるだけの熱量が自分自身にあるかというと、だいぶ疑わしい

「その程度の熱意で、本当に自分はそれが好きだと言えるのか?」的なことを考えてしまうのである

反面、苦手なものとかモヤモヤしてることはわりとある

基本的に僕はイヤなやつなのである

なにが好きかで自分を語ろうとすると「それが好きな自分だったらいいなぁ」という願望やら義務感やらが雑念として邪魔してくるのに対して、なにが嫌いかで自分を語ろうとすると、比較的素直に自分を語れる気がする

モヤモヤをそのまま吐き出すことにはあまり意味がないと思っていて、「なにか苦手な気持ち」を表明するときには、その対象の何が苦手で、どうすればもっと良くなるのかという建設的な意見を添えて提出することがマナーだとは思いつつ…

そのようにしてひねり出した改善案を実現するためには相当の権力が必要なのであり、たいていの場合、改善案をひねり出すだけ無駄なのである

そうやってひねり出した改善案をそのまま実現したところで、現状より良くなることなんてまず無いし

モヤモヤをモヤモヤのまま、なるべく正確に言語化しようとすることは、たぶんそんなに悪くない