意味があるのかどうか分からない仕事が苦手(ウェブ系ITエンジニア編)

自分の仕事に意味があるのかなーと考える時間が多かった

事務用たんぽぽの職業はウェブプログラマだった。これがどういう仕事かというと、

  • なんらかの商品が社会にいっぱい存在してて
  • その商品を広告したいエージェントが、広告手段としてインターネット広告を選択することがあるから
  • そのエージェント向けに、閲覧数が多くて販売効率の高い広告スペースを作り出して売るという商売が存在していて、
  • その広告スペースの「閲覧数を増やすシステム」とか「販売効率を高めるシステム」とかを整備するのがウェブプログラマという仕事

みたいな感じ。そうじゃないウェブシステムもあるだろうけど、だいたいこんな感じ

モヤモヤするポイントが3つくらいある

モヤモヤポイントその1

まず「なんらかの商品が…」の部分。それぞれの商品には確かに価値があるんだろうけど、その価値の出どころはどこか?というところが完全に抽象化されていて、具体的なビジョンは見えない

システム開発を行っている間、「自分の作っているこのシステムを、なにか価値のある情報が通ってくれるんだろうなぁ」といった淡い期待感は持てるけど、その具体的なビジョンが見えないまま、うまくいってない状況が続くと、モチベーション的にけっこうキツイ

モヤモヤポイントその2

次に「その商品を広告したいエージェントが…」の部分

広告という存在自体の価値についてはあんまり疑念はない。民放テレビが無料で見れるのも、Google検索が無料で使えるのも、広告のおかげなのであって、広告っていう概念は人類の知性向上に寄与してるってのは分かる

広告のやるべきこと

  • 商品がどのように優れているか
  • その商品を使うことで消費者の状況がどのように改善するか
  • を一瞬で伝える

に価値があるっていうのも分かる

けど広告の内容がなんというかこう、「あの女優を出せば売れる」とか「射幸心を煽るテキストなら売れる」とか「リタゲして何度か見せると売れる」みたいなところで広告効率を競ってるのが多い気がする

広告っていうのは実際には、商品価値からではなく、群集心理の流されやすさ的なものから富を抽出してるのでは…?的な感じでモヤモヤ

モヤモヤポイントその3

最後、「システムを整備するのがウェブプログラマという仕事」という部分

ITエンジニアに対して会社が賃金を支払うのは、このシステム開発という技能に対してなのであって、それ以外についてはあんまり期待されていない

なのでここまで書いてきたような「自分の仕事は本質的にどういった価値を供給していて、どういった流れで利益が発生しているのか?」といったモヤモヤは、雇用主からしてみれば、システム開発の仕事をする上ではあまり考える必要のない雑念でしかない

無駄無駄無駄無駄無駄無駄、無駄ァッ

自分の仕事には本質的な意味があるのか?っていう不安を頭の片隅に追いやりながら日々を送ることが、事務用たんぽぽは苦手で苦手でしょうがなかった

なにが好きかを表明するのが苦手

自分を表現するにあたり、なにが好きかで自分を語りたいものだなーとは常々思ってるんだけど、僕は「なにが好きか」を表明するのが苦手なのである

好きなものはなに?と人に聞かれると言葉に窮するのである

いくつかは「これが好きです」と言えるものはあるんだけど、それは自分自身の中では好きというのにとどまるのであって、同じものを好きだと表明している他者(同好の士)と比較した時に、世間に対して「僕はこれが好きだーーーーーっ」と表明するに足りるだけの熱量が自分自身にあるかというと、だいぶ疑わしい

「その程度の熱意で、本当に自分はそれが好きだと言えるのか?」的なことを考えてしまうのである

反面、苦手なものとかモヤモヤしてることはわりとある

基本的に僕はイヤなやつなのである

なにが好きかで自分を語ろうとすると「それが好きな自分だったらいいなぁ」という願望やら義務感やらが雑念として邪魔してくるのに対して、なにが嫌いかで自分を語ろうとすると、比較的素直に自分を語れる気がする

モヤモヤをそのまま吐き出すことにはあまり意味がないと思っていて、「なにか苦手な気持ち」を表明するときには、その対象の何が苦手で、どうすればもっと良くなるのかという建設的な意見を添えて提出することがマナーだとは思いつつ…

そのようにしてひねり出した改善案を実現するためには相当の権力が必要なのであり、たいていの場合、改善案をひねり出すだけ無駄なのである

そうやってひねり出した改善案をそのまま実現したところで、現状より良くなることなんてまず無いし

モヤモヤをモヤモヤのまま、なるべく正確に言語化しようとすることは、たぶんそんなに悪くない